■SS Few seconds wars(2015/05/02)
:28*23 23視点
※2015年5月のイベントで発行しました無料配布本の掲載です


ショーケースを睨む、僕の目は至って真剣そのものだ。
(今の気分なら甘めのデニッシュでも…ううん、でも時間的にはこっちのサンド、いや新製品もいいかな…。)
自分の中の小さなルールに従ってフードメニューから絞り込んではみたものの、三つの候補で足踏みしてしまっていた。
といっても、長くこの状態に甘んじるわけには行かない。それを許さぬ同じく三つの問題があることも、悩みを強くする要因ではあるのだけど。
ひとつ、そろそろ食事客で混雑する時間になろうというタイミングの店頭である。
ひとつ、食べたい気分が定まらずに候補を手早く選別出来ない。
ひとつ、この食事に於ける代金を支払うのが自分ではない。既にサンドイッチとコーヒーを注文し終えてこちらを待っている連れがおり、更に言うのならその相手が上司・先輩に相当する立場である。
(金額は気にしなくてもいいって言われたけど、全く考えないわけにもいかないし…そういう場でこの時間からケーキっていうのもなんだか恥ずかしい気もするし…ああ、こんなふうに悩んでいる余裕なんてないのに!)
本格的に腰を据えてという規模の類ではない、コーヒーショップでの軽食レベルでこんなに悩むことがあるなんて当然考えたこともなかった。
隣に立つ「先輩」も勿論こちらがこんな状況だなどとは考えてもいないはずだ。

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「六本木、この後の予定はどうなっている?」
報告書の記入作業の途中で掛けられた声に顔を上げる。薄いレンズ越しに鋭い瞳が僕を見下ろして様子を伺う、ただそれだけなのに、どうしても感じる威圧感に身構えてしまう。
少しだけ気を引き締めるように姿勢を正して進捗と見通しを手短に。それが動揺に気付かれないコツだと最近考え付いた。
仕事、というよりも使命に近い日々の悩み解決には真摯に向き合うべきだというのがこの先輩の信念であり、その彼の元にある自分としては当然それに従うつもりであるし、考え自体にもきちんと同意出来る。
ただの縦仕組みに倣っているわけではなく、理解した上ではあるのだけど…暫くこの型に従っていて感じるのは、少しの疲労感。
多分このままだと、そのうちどこかに無理が現れてしまいそうな…そんな良くない予感がある。
長い視点で継続を目指すのだから、看過するわけにはいかない。だけど、どう動くべきかを未だ見定めているわけではなかったその日そのタイミング。
「そうか、なら片付いたら声を掛けてくれ。この後軽く食事にでも…どうだ?」
なんとなしの威圧感の主から、誘いがあるなんて当然考えたこともなかった。
(特に何を食べるか決めてなかったし、わざわざ誘ってくれるって事は何か理由があるんだろうけど…。)
折角発揮出来たであろうコツなんてどこかに飛んでしまったように、今度はとっさの答えが出ない。
そして、それを察知されてしまったようで、心の中で求めた問いが形になって返ってきた。
「こう、もう少し…距離感をだな、何とかしたいと考えていて…。」
名に冠している建物のシルエットを思わせる、まっすぐな心根の人だということは解っているつもりなので、やや曖昧でもその言葉に裏はないだろうと考えた。
距離感、なるほどその言葉は現状を形容するに相応しいものかもしれない。
僕達が生まれて、出会って、ひとつ目標に目指して日々を重ね始めた段階にはいろいろな課題がある。その大小を問わず何とかしたいと思うこと、思わせること…必要なのはそういう気持ちであるのだと、この時覚えたのだった。

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とりあえずドリンクの選択肢は比較的問題なく絞り込めた。次は肝心のフードというところで下手に時間を使ってしまったことに焦燥している。
立地のせいか…そんなに大きくはない構えの店舗であるのも理由だろう、幸い後ろに並んでいる他のお客さんはいないので、実害が出てしまうような長時間でもないのだけど。
そう…そんなに長く沈黙していたわけではなかった、はずだ。
「なんだ、別にひとつに絞らなくてもいいんだぞ?金額も先ほど言ったとおり気にしなくていい。」
とは言われるけど、気にならないはずがないと心の中に留めたつもりだったのに。
「あまり気になるようなら、この次は持ってくれればいい。だいたい、提案したのは私のほうだし、目的は別にあって食事が重要というわけでもないと言ったろう?」
それに、食べ物の好みという情報は会話を発展させる上で云々…僕より都庁さんのほうが困ってるみたいになってしまって、些細な悩みがどこかに飛んで行ってしまったみたいに軽くなる。
結局、僕が選んだのはサンドイッチ。都庁さんと同じメニューだった。

ふわりと香ばしい豆の香りが漂う。
多種多様に展開してオプションまで完備しているドリンクメニューからさほど迷うこともなく注文していた都庁さんは、どうやらお気に入りとしてメニューを見る前から決めているらしかった。逆に僕のぶんは少し手間のかかる作りをしていたようで、店員さんの鮮やかな手つきを少し眺める時間が楽しい。
適当な席を決めてもらって並んで座る。さりげなく奥の席を勧められたのに改めて気付いたのは少し後になってからだ。
「さて、本題に入ろう。」
見た目や立ち振る舞いからかけ離れず、ホットコーヒーをブラックのまま少し口にする都庁さんには安堵感すらある。
僕は手元で器の中に飾られたホイップクリームを少しかき混ぜて、続きの言葉を待った。
「昨日の件だが、気付くに至るまで少々時間が掛かりすぎたと思うんだが…。」
昨日ご乗車されたお客様の悩み解決にあたり、僕達は思いのほか苦戦を強いられた。というのも、問題点に至るまで各々の視点が異なる利点をうまく共有出来なかったのが原因だと反省したのも、最終的に解決し降車された後のことだ。
又、これまでの解決の中で得られていたであろう要所の共有についても改善の余地はありそうだと提案する。
「それについては車掌からデータの取りまとめを依頼されていたのだったな。」
先ほどまで僕がパソコンに打ち込んでいたのは、車掌さんから預かった過去の報告書の要点だ。基本的に解決後に提出する書類は手書きの入力で、担当駅の記載が必須になっている。ただ、その書類をまとめると結構なボリュームになってしまうことと、その中から類似の点を探す利便性を考えた結果、多少のプログラミングが出来る僕に白羽の矢が立ったのだ。
書類そのものは月島さんにも扱いを助けてもらっている。丁寧に気配りの及んだ作業のおかげで、思いのほか時間は掛からなかった。
「いずれにしても、過去にもあったことで別段今回のケースが特殊だったわけでもない。私が皆の意見を取りまとめるにしても、もう少し日頃の距離感を詰めておく必要があると昨夜考えたのだ。」
ああ、もしかしてさっきの、少し眉間をマッサージしていたあの仕草は寝不足のせいなのか。
「以前にも話したと思うが、開業日差…経験や年齢の差は現状考慮しなくてもいい。同じ路線にある仲間としての連携を重視したい。」
ただし新宿はあまり参考にするな、と言われもしたけど、あの人はあの人なりにそれで上手くやれてるんだろうなと考えられるようになったのは、つい最近だ。
好きなことへの主張にためらいのない両国君なんかは解りやすくていいと思う。好きなこと以外がどうなのかあまり詳しく表さない月島さんのスタンスも、真似は出来ないけれどきっちりしているなあと思っていた。
「お前は…その、考えが深いというのは利点だとは思う。しかし普段から大人しいというか、それが別段問題であるとは思っていないのだが、ついその点安心して流してしまっていると思ってな。」
実際に、自分というものを現すことを少し抑えていることを否定出来ない。
派手に立ち回ろうと思いはしない。自分がどうあるべきかと考えても答えなんてないのだから。けれど、それをやりにくいと捉えられているのだとしたら、問題でないわけはない。
そんな僕に対して、都庁さんは距離感を縮めたいと言っている。僕に改善出来る何かがあるとしたら、それは是非何とかしたい。
「なので、まずはもう少しお前のことを知ろうと思ったんだが…。」
(そのための最初の一歩が、食事に誘ってお互いを知るって…。)
それってなんだか、別の意味に誤解されそうな言葉じゃないかな…と考えてから、この人が含みのある発言をするようなタイプではないことを思い出した。
あかりちゃん曰く、良くも悪くも生真面目。だからこそ、僕も皆も信頼しているのだから。

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「…思えばあれは、都庁さんからのプロポーズみたいなものだったのかなって、今になって気付いたんだけど。」
「いや、その、私は決してそのようなやましい気持ちがあったわけでは…。」
僕があの時ショーケースの中身と戦っていた横で、都庁さんもどう話を切り出すかと戦っていたのだと知ったのは、だいぶ後になってからだ。結局あれから何度か食事をして、僕が甘いものが好きなことも知ってもらって、行くたび都庁さんの頼むドリンクが殆ど変化しないこととか、その割に新製品が出るとそれなりに興味を示してくれたりしていたことも知った。
「今ではもう、来るたびに意識するようなことじゃなくなったけど、僕にとってこの香りはそれだけでいろいろ思うところがあるよ。」
ゆっくりとした空気の中、都庁さんが自ら淹れてくれるコーヒーのドリップを待つ。贔屓のショップがあるだけに留まらず、自分で淹れることも上手だって知ることが出来たのは、互いに距離を詰めようとした結果のご褒美みたいなものかな。

ゆっくりお湯が注がれているこのささやかな時間の中でまた、この夜をどう過ごすように誘おうかとお互いが心中戦っている。
僕と都庁さんを繋ぐほどほどの距離、そこから生まれる小さな駆け引きはもう、課題ではなく楽しみといっても間違いじゃないかもしれない。