■SS ミッドナイトミッドタウン(2010/12/25)
:28*23 28視点、クリスマスイルミネーションネタ。
twitterでちょっと前に公夏さんがネタを下さっていたのですが、うっかり当日になってから書きました( ゚Д゚)

目的地まで可能な限り、走る。
普段なら滅多にこんな失態は犯さないのだが…思いのほか手間取ってしまった。
明確に時間を約束したわけではないが、今日という日はやはり「特別なもの」であると思っていたから。

通常の業務が終わったのは、予定よりもずっと遅くなってからだった。
地下に居ると太陽の光は届かず、時計を確認していなければ経過が解りにくいものだ。
そもそも、今日はお客様のご乗車のタイミングからして予定からずれ込んでいたのだから…その後の全てが順延になるのは至極当然の事。
だが、急がなければならない。
手元の白紙だった報告書の必要項目を埋めていく筆が時々所在を失って揺れる。
普段ならじっくり時間を掛けて記入している所だが、今日という日は時間が気になって落ち着かず、文面がなかなかまとまらない。
それでも、確実に出来事を反芻し、整理し、文字列に置き換えていく。
荒れていく文字が自分らしくないとは思うのだが、恐らくこれも彼に言わせれば「らしい」のかもしれなかった。
…その相手が待つ場所へ、心だけが急いでいる。
内容には一切の妥協をするつもりはない。
そうして出来上がった書類を車掌に提出し終わった頃改めて時計の文字盤を見てゾッとした。
間もなく日付が変わってしまう。
脚力にも、体力にも自信が無いのは百も承知の上で、可能な限り走る。
暦は十二月、年の瀬も迫る下旬である。
取るものもとりあえず、シンプルなデザインのコートを移動しながら羽織った。
外は冬の寒気に満ちていて、刺すような冷たさが頬に触れる…息を荒げて走っていても尚、吹き荒ぶ風に体温を奪われてしまうようだ。
…この風の中に待っている筈の彼の元へ急ぐ。
季節に関わらず、時々こうして業務を終えた後の時間を共にする事は稀ではなくなっていた。
いつも誘いの話を切り出すのは彼のほうであった事、今更に気付いた。
(全く…不甲斐ない。)
起点であり終点である自分がこれで務まるリーダーというものをも、考え直す必要があるのではないかと思うほどに痛感する。
最初から出来る素材ではなかった。
相応しい自分を形作ろうといつも心血を注いできた事は確かだし、それを支えてくれる仲間が居る事も感謝している。
そして、彼が自分に対して少し特別な感情を抱いている事も理解している。
だからこそ、急がなければならない。
この時期は特に観光名所として知れるミッドタウンまでもう少し。
まばらながらすれ違う人々の目には、自分の姿は映らない。
もし見えてしまっていたら、非常に情けなく恥ずかしい姿であろうと…哂った。

数え切れないほどの電飾の跡をやや遠目にしたそこに、彼は佇んでいた。
やっと辿り付いた…辿り付けた。
普通の[人]とは違う彼の存在も又、周囲には見えていない。
そのせいで漂う何とも言えない空気が冷たく流れて飛んでいく。
来るであろう方向をずっと見つめていたらしく、すぐにこちらに気付いたようだった。
…当然、息が上がっている事もすぐに知れてしまう。
あと少しの距離も、甘んじる事無く走る。
彼の目の前まで来て、名前を呼ぼうと思ったが、悔しい事に酸素を欲する事に必死で声にならなかった。
「…都庁さん、お疲れ様。」
結局、この場の会話の順序すら、彼が先だ。
柔らかく笑ったそのままで、こちらが落ち着くまでの時間をも赦してくれる。
その間に時計を見やった。
…時計の示す数字は既に日付を超えて、翌日になっている事を残酷に示していた。
電飾の点灯時間も既に終わってしまっている。

「─すまない、出来るだけ急いだんだが…。」
「うん、解ってる。それに、忙しい時に無理を言ったのは僕。…だから、ごめんなさい。」
ひとつひとつ短い言葉で構成されたその一言には果たしてどんな意味の深さが込められているのだろう。
いつもいつも、少ないながらも何かを懸命に伝えようとしている事は解っているのだが…それを明確に読み解けないでいる事も確かだった。
でもこの場合、彼が謝るのは的確でない事だけは痛いほど胸を突いて解る。
高級そうなファーをあしらったコートの裾が翻る。
「でも、良かった。人もだいぶ減って落ち着いてきたから、ゆっくり見られそう。」
私を責めるでもなく、既に輝きを休めてしまった電球の海を見つめる横顔が、酷く美しく…寂しそうに見えた。
どの位前からここに居たのだろう?
少なくとも、報告書をまとめ始める前に解散になっていたのだから…二時間半はゆうに経過している。
すぐに終わらない事は、予め告げていたはずだ。
季節柄、仲睦まじい恋人達が多く集うここで、独り私を待つ間に、どんな想いでいたのだろう。
夜の六本木史の事は、正直解らない事の方が多く戸惑いがある。
なるべくそれを気取られないように努めてはいるのだが、申し訳ない事にその事実を彼は理解してしまっている。
私の傍に居る間の彼は、極力その違いを押さえ込むようにしているように思えた。
そのせいだろうか…どことなく苦しそうで、寂しそうで、それが申し訳なくて。
多分今もそうなのだろう。
原因が自分に在ることを知っているからこそ、気の利いた言葉を掛けるでもなく彼と…その先の輝きの跡を倣って眺めていた。
「…光っていなくても、綺麗だね。」
「そう…だな。」
短く澄んだ声に、最低限の応え。
『僕の所は盛大なイルミネーションが行われるけど、良かったら…ゆっくり見に行きませんか。』
二人で、と彼は少し悪戯に笑って約束した。
期間中いつでも良かったのに、と彼は少し困ったように答えたが、開業記念等が重なってそれどころではない忙しさを理由に、少しの…いや、多大な勇気を使って指定したのが十二月二十五日の夜。
いつの間にか日本に於いては前日のほうが重視されがちだが、その反面本来当日である筈の一日の終わり頃になると、人々の興味は少し薄れるらしく…普段"見えない"特別な存在であるのだから気にしなくても良かった所にこの指定日を選んだのは自分だ。
誘いの言葉通りにゆっくり楽しむというのであれば、きっと相応しい特別な夜を過ごせると思っていた。
迎えてみれば散々な意味で特別な夜になってしまっていたのだが。

「でも、思ったより早かった。」
「?…そうか?」
「うん、都庁さん、頑張ってくれたんだなって思った。…だから申し訳ないなって。」
こちらの戸惑いのせいのような気はするが、なんとなしに視線が合わないままだ。
「でも、すごく嬉しかった。」
「…。」
只でさえ少ない言葉が、更に減っていく。
空気の冷たさのせいだけでなく、心が軋む。
過ぎてしまった"特別になるはずの日"はもう、戻って来ない。
…その筈だった。
だから、せめて日を跨いでしまったこの夜を特別にしたい。
日取りを指定するよりも更に大きく強い勇気を出した。
その手に触れて、握る。
氷のような指先だった。
向かい合わせに抱きしめた。
抱き寄せた。
髪の芯まで冷え切った身体だった。
彼は時々、嘘を付く事を知っている。
それも、とても優しい嘘である事を知っている。
日頃口に出さずにいる、その優しく切ない気持ちに付ける名前を知ってからも、彼は極力自分の感情を抑止し、私を尊重し、関係を壊さぬように気を遣っていて…私を想って幾重にも重ねられる嘘が、堪らなくなる。
「都庁、さん。」
身じろぎもせず、ただ腕の中でじっとしている彼を想う気持ちが溢れて、壊してしまわないようにと…ただ必死に堪えた。
衝動を恥じるように、そっと腕を解く。
このままゆっくりしていたら、風邪をひかせてしまう。
手を引いて歩き出した。
「っ!」
僅かに体温を移したせいか、小さくくしゃみをする彼の手を握ったまま、ポケットに招き入れた。
「もう行こう。時間だけでなく、ゆっくり見る約束も守れず済まない。」
「…うん。」
煌く事なく佇む沢山の電球の群れを背に、走ってきた道を今度は気持ち早めに歩く。
「じゃあ、都庁さん、コーヒーご馳走してください。甘いのがいいな。」
あと数十分先の約束を改めて提案する彼の言葉の裏をどう捉えたものか…?

本格的に冷たい夜となった頃、我々の路線は間もなく終電を迎えようとしていた。